September 17, 2011
「選手主導で上手く回りはじめたサッカーに見当はずれな修正を施す」という形でペトロの理想とするサッカーは何度でも顕在化する(第26節清水エスパルス1-0浦和レッズ)

2011Jリーグ・ディビジョン1 第26節

清水エスパルスvs浦和レッズ

2011年9月17日(土)14:04キックオフ・エコパスタジアム

試合結果

清水エスパルス1-0(前半0-0)浦和レッズ

得点者:63分 大前元紀(清水) 

入場者数:21,524人


良いゲームができたかと思えば、次節にはまた前のチームに逆戻り…という今季のおなじみのサイクルを、またも繰り返してしまったレッズ。このような失望感を味わったのは、いったい何度目だろうか。

前節のナビスコカップ・大宮戦でレッズが見せたサッカーは、今季の後半戦ではベストに近い内容だったと思う。特にマルシオの起用法を中心に、今季ずっと頭を悩まされてきた前線の陣容について、セルヒオを最前線に入る形を見出せたのは、大きな収穫だった。

上背はないながらも体を張ってボールをキープし、最前線で動きまわったセルヒオは、まるでマンUのルーニーのような存在感だった。ランコや高崎に比べて「動ける」セルが前線に入ったことで、その一列後ろの直輝を中心に、元気、セル、そしてマルシオという前線4人のポジションチェンジは、自然な形で活性化した。

これまではピッチの中央エリアで相手の厳しいプレッシャーを受ける中、後ろ向き・止まった状態でボールを貰って潰されることの多かったマルシオだったが、前線に流動性が生まれれば、彼の特徴は生きてくる。元来持ち合わせていた広い視野と高いパスセンス、豊富な運動量、ロングレンジからのミドル…そういった彼らしいプレーがいくつも見られるようになったのは、本当に嬉しいことだった。

そして、今日の清水戦。直輝、元気が抜けたことで、前線の陣容に修正を加えざるをえなくなったわけだが、まさかのマゾーラを1トップ。「勝ったゲームのあとは極力メンバーをいじらない」という鉄則に従えば、そのままセルの起用が妥当で、セルを左で起用してもトップはランコだと思っていた。

ランコが調子が悪いのはわかるが、ポストプレーの巧みさや前線からの守備意識といった部分では、いくら調子が悪くてもランコ>>>>マゾーラだ。それは今日の後半から入ったランコの動きを見ても明らかだったと思う(何よりマゾーラは「プロ意識」というレベルで大いに問題がある)。

前節の試合後、「久しぶりにサッカーをできた感じがした」というようなコメントを柏木が残していたが、ペトロにとっての大宮戦は、ただの「勝ちゲーム」でしかなかったようだ。彼はおそらく「なぜ選手たちがあのように伸び伸びとプレーができたのか?」というような疑問は一切持つことなく、「やっと自分の教えたサッカーが浸透してきたんだな」くらいの的はずれな満足感を持って、今日のゲームに臨んだんだと思う。

でなければ「相手のバックラインの裏にスペースがあるようだから、スピードのある選手を…」というような理由だけで、マゾーラを先発に使ったりはしない。しかし残念ながら、ペトロにとっての「戦術」「作戦」というのはその程度のレベルのものなんだと思う。

おそらくペトロの思い描く理想のサッカーは、就任当初から変わっていない。変わったように見えた瞬間は何度かあったが、それは自分の理想を一時的に放棄して、「選手まかせ」にしていた期間があっただけの話だ。そして裏に隠れていたペトロの理想とするサッカーは、「選手主導で上手く回りはじめたサッカーに見当はずれな修正を施す」という形で何度も顕在化する。結局、彼は多くの敗戦からも何一つ学んでいなかったのだ。

考えてみれば、敗戦=失敗からすら何も学べなかった人が、大宮戦の勝利=成功から何かを学べるわけもない。試合後のコメントを読み返すとよく分かるが、彼にとって敗戦=失敗の原因は、常に「選手が自分の指示したサッカーをできなかった」ことにあり、勝利=成功の原因は「自分の指示した通りの素晴らしいサッカーをしてくれた」ことにある(たとえペトロの指示と相反する選手主導のサッカーだったとしても!)。

この、「成功は俺の手柄」「失敗は人のせい」という態度は、いかにもヨーロッパの個人主義的だなぁと思う(にしても露骨すぎるけど)。「今日の勝利は選手の頑張りのおかげ」「勝てなかったのは監督である自分の責任・力不足です」という態度が日本では美徳とされるので、余計に批判が集まってしまう部分はあると思う。

話を戻すと、ペトロはたとえ勝っても負けても、自身の戦術やサッカー観を省みる・修正するといったことを、一度もしてこなかった。この先、浦和が浮上するには「監督を代える」か「ペトロ自身が変わる」のどちらかしか道はないと思うが、後者の可能性は絶望的と言わざるを得ない。

短期的に見ても、長期的に見ても、ここまで解任されない理由が見つからない指揮官も珍しいと思うが、GM解任の時点では「ペトロのままで行く」というのが既定路線のようだ。

「こんな指揮官を連れてきた私たちが間違っていた」

その謝罪一つをしたくがないがために、フロントは契約終了(シーズン終了)までペトロを引っ張ろうとしてるんだと思う。シーズンが終わってしまえば、解任ではなく契約終了となり、「浦和のスタイルとは合わなかった」「来年こそは真のレッズスタイルを」等々と、自分たちの非を認めずに、次のシーズンを迎えることができるからだ。

しかし、このような「嘘を嘘で塗り固める」行為は、たいてい途中で無理が生じる。フロントは「GM解任」でケリをつけた(その無理を解消した)つもりかもしれないが、大元の嘘は今も残されたままだ。

August 28, 2011
下手したらペトロは「組織で崩したり守ったりするようなサッカーはセコい…」くらいに思っているかもしれない(第24節セレッソ大阪3-1浦和レッズ)

2011Jリーグ・ディビジョン1 第24節
セレッソ大阪vs浦和レッズ
2011年8月28日(日)18:04キックオフ・長居スタジアム

試合結果
セレッソ大阪3-1(前半0-0)浦和レッズ
得点者:48分 山口螢(C大阪)、78分 高崎寛之、87分 扇原貴宏(C大阪)、90+1分 倉田秋(C大阪)
入場者数:26,248人

セレッソ3-1レッズというのは極めて順当な結果だった。
シュート数はともに10本前後だったが、決定的なチャンスを多く作り出していたのはセレッソの方だ。その「決定的なチャンスの数」の差が、そのまま結果に表れたと言っていいだろう。

セレッソは前半から1トップ・3シャドーの運動量が豊富で、全員が裏を狙う動きを執拗に繰り返しており、ボランチの扇原貴宏、山口螢からもいいボールが何本も入っていた。そして好機と見るや、中盤の底から彼ら自身も攻め上がり、一挙にゴール前での数的優位を作り出していた。

「この形でチャンスが作れる」と思ったものを「執拗に繰り返す」という行為が、つまりは「攻撃パターン」というもので、それはセレッソが試合前から持っており、練習でも繰り返し行っている形のはずだ。

ゴールが入る/入らないという最後の場面は運の要素に大きく左右されるが、サッカーは基本的に「効果的な攻撃を多く繰り返した方が勝つ」というスポーツだ。だからこそ監督は、同一パターンの練習を反復することで、選手にそのパターンを身につけさせる。今日のセレッソを見る限り、交代で登場した選手を含めた全員に、その攻撃パターンに対する共有意識があるように感じられた。

なお、この試合のレッズは、前節のサンフレッチェ戦のような前線からの無茶なプレッシングは行わず、ディフェンスラインも高い位置を保つことで、コンパクトな陣形を保っていた。では、なぜレッズは3つもの失点を喫し、敗れてしまったのか。

守備面では「相手ボランチへのプレスが甘かった」「高橋峻希の上がったスペースを狙われた(1点目、2点目ともにセレッソの攻撃はレッズの右サイド裏のスペースを突くことから始まった)」等々。攻撃面では「前線の動き出しが足りない」「ボランチに展開力が足りない・前線への飛び出しがない」「デスポトビッチにボールが収まらない」等々、色々な意見があるだろう。

それぞれが真実だと思う。しかし攻撃にパターンがあるように、サッカーには「失点パターン」「負けパターン」というものもあり、同じような失点、負け方が繰り返されるからには、やはり共通の原因が存在するはずだ。そこで今回はペトロサッカーの大前提となっている「マンマーク」と「攻撃時のポジション固定」という二つの基本戦術から、今日の敗戦を振り返ってみたいと思う。

まず今日も失点の拠点となってしまった右サイドの高橋峻希と、攻撃を自重しているかのように見えた2人のボランチについて。特に高橋峻希の攻め上がりはレッズの中では数少ない攻撃パターンの一つとなっているが、その裏では今日のように多くの失点にも絡んでおり、まさに「諸刃の剣」のような存在になっている。

また2人のボランチが攻め上がらなかったのは、彼らが「自分が出て行ったらピンチになる」ということに気づいているベテランだったからで、置かれている状況は高橋峻希と何ら変わりはないと言える。

というのも、ペトロのマンマークを基本とする守備戦術では、どんなに相手陣内の奥深くまで攻め上がろうと、守備時には受け持ちの相手をマークすることが求められる(ゾーンディフェンスで行われる「マークの受け渡し」という行為が基本的には行われないため)。

攻撃でチームに貢献しても、守備で穴を開けて失点すれば、それは彼個人の責任となる…というのが、今のレッズの守備戦術だ。

今のレッズには、選手の攻め上がりに対する「リスクマネジメント」的な戦術がない(というかペトロがそれを整備していない)。だからマーカーを捨てて攻め上がるということは、「守備の枚数が1枚減る」こととそのままイコールになってしまうのだ。そしてボランチやサイドバックの積極的なチャレンジは歓迎されない。というか、ペトロはそれを要求も期待もしていないようにも見える。

「チャンスのときはリスクを負ってでも攻め上がって欲しい」などと解説の方が言っているのをよく耳にするが、リスクを犯せるのは、基本的にある程度のリスクマネジメントができていてこそだ。リスクマネジメントができていなければ、経験のあるベテランは攻め上がらない(それが個人のリスクマネジメントだ)。そして若手は知らずにチャレンジして、使われなくなる。ボランチから後ろの選手でベテランが重用されているのは偶然じゃないと思う。


また攻撃面での「前線の動き出しの少なさ」についても、ペトロサッカーの基本戦術に起因するところが大きい。山田直輝への「お前は真ん中にいろ!」の指示からも明らかなように、ペトロのサッカーは攻撃面においては「ポジションの固定」を前提としている。

だからして、前線の選手にポジションチェンジを伴うような「ボールを引き出す動き」を要求するのは、そもそもが矛盾している。要求されているのは基本的に上下動のみで、ゴールが近くなれば中へと切れ込む動きも認められる。この制約が、選手の動きから多くの自由を奪っているのは明らかだろう。

そして悲しいことに、今日のセルヒオが入る前のレッズの攻撃で得点の匂いを感じたのは、マルシオや原口が積極的にポジションチェンジをしていたときだった。「監督の指示を破らないといい攻撃ができそうにない…」というのは、山田直輝だけでなく、多くの選手が抱えているジレンマのはずだ。今のレッズの攻撃陣は「積極的なチャレンジ」が非常にしにくい状況にある。

そして今日もゴールに絡んだ原口元気。選手個人として大きな成長を遂げていることは間違いないが、その活躍はペトロの戦術があってこそ生まれたものだと思う。原口の攻撃面の能力は「ペトロが成長させた」と言っても間違いではない(直輝や水輝を成長させた…と言われると死ぬほど腹が立つけど)。そして、誰が言い始めたのか忘れたが、今や「レッズの攻撃パターンは原口だけ」なのだ。

前線における「ポジションの固定」とは、つまりは「お前は自分の持ち場での1対1に集中しろ」ということだ。そこで要求されるのは、ドリブルを中心とした足元の技術とシュート力。その個人技でチャンスを作っていれば、そのほかの動き(ボールを引き出す動きを含むフリーランニング、前線からの守備など)は免除される。

つまり。「前線のボールを引き出す動きが少ない」「FWに守備をしない選手が多い」という事実と、「原口の得点が多い」という事実は、表裏一体の関係にあると思う。もちろんこれはイコール「原口の動きが少ないのが悪い」という個人批判ではない。だが、「FWもきっちり守備をする」「ボールを引き出す動きを増やす」という戦術が取り入れられれば、原口の得点は大幅に減るはずだ。

このようにペトロのサッカーでは、攻撃でも守備でも「1対1で勝つこと」が基本になっている。原口の躍進も、守備や攻撃での種々の欠陥も、おなじみの失点パターン、負けパターンも、すべての大元の原因はこの「1対1で勝つこと」への異常なこだわりにあると思う。

以前、浦研でも下記のような木崎伸也さんのコメントが紹介されていた。


島崎
「話は変わりますが、以前、オランダの取材歴が長い木崎伸也くんに話を聞いたんですけど、オランダのエールディビジに所属する中位のチームは、みんなペトロさんがやっているようなサッカーをしているとのことでした。リスクは冒さず、長いボールをどんどん前線へ送って、1対1の個人勝負を仕掛けて行く形ですね。攻守において1対1の局面が多く、能力の高い方が勝つという判りやすいもので、騎士道精神みたいなものが溢れているそうです。だからペトロさんがそういうサッカーをするのは、極めて普通の事ですと」(【浦研プラス特別対談7月・後編】日本サッカーに足りないもの、成長した部分(8/9) | 浦研プラス – 島崎英純+福田正博ウェブマガジン -

「なるほど」と思った。数的優位をあえて作らず、1対1で勝負し、その勝負に勝つのが男らしいという考えが、ペトロにはあるのだろう。思えば現役時代のペトロもそんな選手だった。下手したらペトロは「組織で崩したり守ったりするようなサッカーはセコい…」くらいに思っているかもしれない。

しかし。そんなサッカーを「組織大好き!」な日本にそのまま取り入れて、成功するはずはない。そして、オランダの中位チームで一般的な戦術を仮に取り入れているのだとしても、ペトロのサッカーには他にも多くの欠陥が…と書き始めると切りがないので、また今度に。